相葉雅紀さんプロフィール
項目 | 内容 |
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名前 | 相葉 雅紀(あいば まさき) |
生年月日 | 1982年12月24日 |
出身地 | 千葉県千葉市 |
血液型 | AB型 |
身長 | 約176cm |
所属グループ | 嵐(1999年9月15日結成、2020年末より活動休止中) |
所属事務所 | STARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所) |
家族構成 | 両親・弟 |
学歴 | 日本航空高等学校中退(仕事の都合により) |
ジャニーズ入所日 | 1996年8月15日(当時13歳) |
デビュー日 | 1999年11月3日(嵐として『A・RA・SHI』でCDデビュー) |
メンバーカラー | 緑 |
ニックネーム | あいばちゃん、相葉くん、まーくん |
主な担当 | ボーカル、ダンス、バラエティ、ドラマ、ナレーション等 |
特徴・性格 | 天然・癒し系・明るい・優しい・涙もろい |
趣味・特技 | スポーツ全般(特にバスケ・サッカー)/動物とのふれあい |
ペット | 犬(チワワ)「ゆず」 |
主なソロ曲 | 「Friendship」「Magic hour」「Disco Star」など |
主な出演番組(個人) | 『相葉マナブ』『I LOVE みんなのどうぶつ園』『VS魂』『嗚呼‼みんなの動物園』等 |
主なドラマ出演 | 『バーテンダー』『三毛猫ホームズの推理』『ようこそ、わが家へ』など |
主な映画出演 | 『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』『忍びの国(声の出演)』など |
CM出演 | 「日立」「アサヒ飲料」「メルティーキッス」など多数 |
備考 | 実家は中華料理店。動物好きが高じて番組企画や番組MCも多数担当 |
【相葉雅紀さんの魅力と凄さ】長年愛される理由を徹底解剖
嵐メンバーの中でも、ひときわ優しさと温かさに満ちた存在。それが相葉雅紀さんです。
「天然」「癒し系」といった言葉で語られることの多い彼ですが、20年以上にわたり国民的アイドルグループとして第一線で活躍し続けてきました。
今回は、相葉雅紀さんの魅力と凄さをさまざまな角度から深掘りしていきます。
◆ 相葉雅紀さんの「癒し力」は天性の才能

相葉さんの大きな魅力の一つが、「人をホッとさせる笑顔」と「ナチュラルな優しさ」。
テレビで見せる姿はどれも気取らず、自然体。視聴者はつい「この人、本当にいい人なんだろうな」と感じてしまいます。
バラエティ番組『志村どうぶつ園』(現『嗚呼‼みんなの動物園』)では、動物との触れ合いを通して優しさがにじみ出る姿が多くの人の心を打ちました。
動物に対してだけでなく、共演者やスタッフ、視聴者に対する気遣いも自然体。
まさに「見ているだけで癒される」「心があったかくなる」存在です。
◆ 実は超ストイック!努力家な一面も

普段の柔らかい印象とは裏腹に、相葉さんはプロ意識が非常に高い努力家でもあります。
2002年に「自然気胸」を発症し、入院・休養を余儀なくされた際には、復帰後すぐにステージに立ち、全力でパフォーマンスを披露。
その後も体調に気を配りながら、歌・ダンス・芝居・バラエティと幅広く活動を続けています。
また、ドラマ『バーテンダー』の際には、本物のバーテンダーから技術を学ぶために猛練習し、シェイカーの持ち方や立ち姿にもこだわっていたとのこと。
努力を表には出さず、あくまで自然体で見せる姿勢が、プロの凄みを感じさせます。
◆ 嵐の潤滑油的存在
嵐メンバーの関係性を語る上で欠かせないのが、相葉さんの空気感。
明るくポジティブなキャラクターで、場の雰囲気を和ませたり、ふとした冗談でメンバーの笑顔を引き出したりと、まさに「潤滑油」のような存在です。
一方で、グループのピンチや重大発表の場面では、しっかりとした言葉で感情を伝えることも。
2020年の活動休止発表の際、涙ながらにファンへの感謝を語る姿は、多くの人の記憶に残っています。
◆ バラエティ力・MC力が年々進化中!

相葉さんは嵐としての活動以外でも、数々のバラエティ番組のMCを長年にわたり担当しています。
- 『相葉マナブ』(2013年~現在)
- 『VS魂』(2021年~2024年)
- 『嗚呼‼みんなの動物園』(2020年~現在)
どれも、相葉さんの親しみやすさ・反応の良さ・安心感のある進行力が高く評価されている番組ばかり。
特に『相葉マナブ』では、旬の食材や伝統工芸を学びながら、地域に根差した日本の魅力を発信。
「子どもからお年寄りまで楽しめる」「相葉くんが学ぶ姿に癒される」と、家族で視聴される番組として定着しています。
◆ 相葉雅紀さんのドラマ等芝居でも魅せる表現力の奥深さ

「演技派俳優」とは一見別の路線に見えるかもしれませんが、相葉さんは芯の通った演技をじっくりと重ねています。
代表作:
- 『バーテンダー』(2011年)
- 『三毛猫ホームズの推理』(2012年)
- 『ようこそ、わが家へ』(2015年)
彼の演技の特徴は、リアルさ。
気取らない日常的な役柄を丁寧に演じることで、視聴者に共感や安心感を届けてくれます。
◆ 長年愛される理由は信頼感
芸能界で20年以上も第一線を走り続け、なおかつ大きなスキャンダルもなく、周囲からもファンからも好かれ続ける。
それは相葉さんが、裏表のない人柄で、真面目に、誠実に仕事と向き合っているからです。
関係者からのコメントでは「いつもスタッフへの挨拶を欠かさない」「誰にでもフラットに接する」といった話が多く聞かれます。
まさに、「人として信頼できる」ということが、彼の最大の凄さではないでしょうか。
癒しと誠実さで人を惹きつける、唯一無二の存在
相葉雅紀さんの魅力は、単に「優しい人」という言葉では収まりきりません。
- 天性の癒しキャラ
- 裏での努力とプロ意識
- 仲間を支える包容力
- バラエティやMCとしての信頼感
- 丁寧な演技力と人間性
それらすべてを長年積み重ねてきたからこそ、今もなお多くの人から本当に好きになれる人として愛されているのです。
これからも、私たちのそばに寄り添ってくれるような存在でいてくれることでしょう。
【相葉雅紀さんの性格の魅力まとめ】癒し系?天然?いや、最高に人間味あふれるアイドルだった!
嵐メンバーの中でもひときわ「優しい」「癒される」と言われ続けている相葉雅紀さん。
けれど実は、ただ優しいだけじゃない! 彼の性格には“おもしろさ奥深さギャップ”がたっぷり詰まっています。
この記事では、相葉雅紀さんの性格の魅力をエピソードを交えながら紹介していきます。
◆ 誰よりも優しく、気配り上手
相葉さんといえば、やはりまず思い浮かぶのが「優しさ」。
スタッフや共演者からはよく「現場に入ると真っ先に全員に挨拶する」「誰にでも笑顔で接する」といった証言が出ています。
また、後輩にもとてもフラットに接し、番組で共演したJr.たちに自然に声をかけたり、緊張をほぐしてあげたりする姿もたびたび目撃されています。
🌸 こんなエピソードも
- 初対面の共演者に手土産を持参
- バラエティ番組のロケ中、通行人やお店の人に誰よりも丁寧に接していた
- 共演者が落ち込んでいたとき、控え室で声をかけてそっと励ました
◆ 天然すぎて「天使」と言われるレベル
相葉さんの“面白さ”は、なんといっても唯一無二の天然ぶり!
しかもそれが計算ゼロの素だからこそ、視聴者もスタッフもつい笑ってしまう愛されキャラなんです。
🧠 ファンの声:「彼の天然は異次元」「もはやアート」
◆ ポジティブで落ち込まない性格
相葉さんは基本的にめちゃくちゃ前向きな性格です。
どんな状況でも笑って「大丈夫っしょ!」「なんとかなるなる!」と口にするその姿勢は、周囲を安心させる力があります。
🌈 例えば…
- 嵐のバラエティで失敗しても「いや〜!逆にウケたからOKだね!」と笑顔で切り替え
- 舞台でセリフを飛ばしたときも、その後のアドリブで会場を笑いに包んだ
この明るさが、メンバーやファンの心を何度も救ってきたのです。
◆ 感受性が強く、よく泣く
笑顔の印象が強い相葉さんですが、実は涙もろい一面も。
- 嵐のライブ終盤で、ファンのペンライトを見て涙
- 嵐の活動休止発表時、言葉に詰まりながら泣きながら感謝を語った
- ドキュメンタリー番組の中で、被災地の話に涙を浮かべた
そんな姿に、ファンも「一緒に泣いてしまった…」「感情が素直すぎて好き」と共感することが多いんです。
◆ ちょっぴりおっちょこちょい、でも真面目すぎて愛おしい
バラエティでよく見られるのが、ちょっとズレた受け答えや謎の行動。
でもその裏には「ちゃんとしよう」「相手のためにがんばりたい」という、真面目すぎるくらい真面目な心があるんです。
◆ ギャップがすごい…実は努力の人


天然でふわふわしてるイメージの一方で、実はとてもストイックな努力家。
ドラマでは役作りに本気で取り組み、動物番組では事前に資料を読み込んで臨む姿が多くの現場スタッフに知られています。
特に『バーテンダー』のときは、プロの指導を受けてシェイカーを何十時間も練習したそうです。
◆ 「癒し」「天然」「真面目」全部を持つ
相葉雅紀さんの性格は、いくつもの魅力がバランスよく混ざり合っています。
- 優しいけどおっちょこちょい
- 面白いけど真面目
- 明るいけど泣き虫
- 天然だけどプロ意識が高い
そんなギャップだらけで人間味あふれる相葉さんに、誰もが惹かれてしまうのです。
どんなに立場や時代が変わっても、変わらず優しくて、ちょっと面白いあの人でいてくれる。
それこそが、私たちが相葉雅紀をずっと好きでいられる理由なのかもしれません。
◆ 相葉雅紀さんのジャニーズ入所までの道のり
■ 幼少期〜小学生時代:芸能界に憧れはなかった?


相葉雅紀さんは千葉県千葉市出身。幼少期から活発な子どもで、スポーツが大好き。
中でもバスケットボールに熱中し、小学生時代はバスケ少年として地元のチームで活躍していました。
実家は中華料理店で、ご両親が忙しい中でも愛情深く育てられたそうです。
そのころはまだ、芸能界に強い興味があったわけではなく、将来は「バスケの選手になりたい」などと語っていたという話も。
■ 中学生になる頃、転機が訪れる
転機は中学1年生のとき(1995〜1996年頃)に訪れます。
友人や周囲から「ジャニーズっぽい!」といじられることが多くなり、自然と「テレビに出てみたい」「ジャニーズってどんな世界なんだろう?」と意識しはじめたそうです。
そんな中で、自らジャニーズ事務所へ履歴書を送る決断をします。
実はこの履歴書、本人が書いたものではなく、「お母さんが手伝ってくれた」という説もあるほど。
さらに、写真館で撮った写真の表情が「真顔で怖かった」と、本人が後年に語っていたこともあります。
■ オーディションを経て、入所が決定!


応募からしばらくして連絡があり、東京でのオーディションに参加。
そのとき一緒に受けた中には、のちの嵐メンバーである二宮和也さんや松本潤さんもいたというのは有名な話です。
オーディションではダンス審査・自己紹介などがあり、特別に目立ったわけではなかったものの、「雰囲気の良さ」や「明るさ」が評価されたのではとファンの間では語られています。
そしてついに
🗓 1996年8月15日、ジャニーズ事務所に正式に入所!
当時13歳、まだ中学2年生でした。
■ 入所当初の苦労と同期との関係


入所後はジャニーズJr.として、バックダンサーや舞台での出演が中心に。
当時は、現在のようなJr.育成制度や映像コンテンツも少なく、まさに「現場で体当たりで学ぶ」時代でした。
同期や近い世代には、以下のようなメンバーがいます:
- 二宮和也(同じ1996年入所)
- 松本潤(1996年入所)
- 風間俊介
- 生田斗真
彼らと切磋琢磨しながら、次第に存在感を増していきました。
◆ 入所当時の相葉くんの印象・エピソード
- 練習後もスタジオに残って自主練をするなど、地道な努力家
- 挨拶や礼儀を大事にし、先輩からも後輩からも慕われる存在だった
- デビュー当初は、セリフをかんだり、喋りが苦手だったこともあったが、コツコツ克服
◆ 自ら行動し、チャンスを掴んだ中学2年生の夏
相葉雅紀さんの入所は、誰かにスカウトされたわけではなく、自分で応募したことがすべての始まりでした。
当時の彼は、「テレビに出てみたい」「何か新しいことに挑戦したい」という純粋な好奇心で一歩を踏み出し、そこから約30年近く第一線を走り続けることになります。
「努力」と「人柄」で信頼を積み重ねた相葉さんの軌跡は、まさに“スターの原点”そのものです。
【相葉雅紀のJr.時代】優しさと努力”で駆け抜けた青春エピソードまとめ
今や国民的存在として知られる相葉雅紀さん。
嵐としてデビューする以前のジャニーズJr.時代(1996〜1999年)も、彼にとっては大切な下積みの時期でした。
そんな相葉さんのJr.時代の活動や知られざるエピソードを詳しくご紹介します!
◆ ジャニーズ入所は1996年、13歳の夏


相葉雅紀さんがジャニーズ事務所に入所したのは1996年8月15日、中学2年生のとき。
履歴書を送ったのは自発的な行動で、「テレビに出てみたい」「目立ちたかった」というピュアな動機からでした。
オーディションには後の嵐メンバーである二宮和也さん、松本潤さんも参加しており、この頃から運命の出会いが始まっていたのです。
◆ Jr.時代はまさに根性と現場力の毎日


現在のようにYouTubeやSNSがない時代、Jr.たちはとにかく「現場」がすべて。
相葉さんも、テレビのバックダンサーや舞台、先輩グループのコンサート出演を通して、スキルと存在感を磨いていきました。
たとえば:
- SMAPやKinKi Kidsのバックでダンス
- 舞台『STAND BY ME』に出演
- 少年隊やV6の舞台・ミュージカルで演技経験も積む
🌟 ポイント:舞台ではセリフのある役も担当し、表現力の基礎が培われていった時期
◆ 【同期との関係】仲間であり、良きライバル
同期メンバーには、以下のような人物がいます:
- 二宮和也(嵐)
- 松本潤(嵐)
- 生田斗真
- 風間俊介
- 長谷川純
この頃から、相葉さんは「優しくて誰にでも話しかけるタイプ」として知られていました。
控え室ではムードメーカーでありつつも、ダンス練習では真剣そのもの。そうした姿勢が、仲間たちからの信頼に繋がっていきます。
◆ 【ほっこりエピソード】泣き虫あいばちゃん
Jr.時代の相葉さんを語る上で欠かせないのが、「泣き虫だった」という可愛い一面。
・ダンスがうまくできずに悔しくて泣いた
・出番の少なさに落ち込んで泣いた
・でも翌日には誰よりも早く練習に来ていた
こうしたエピソードは、当時から「真面目でがんばり屋」「負けず嫌いだけど優しい子」として、先輩やスタッフの間でも評判だったそうです。
◆ 【意外な苦手分野】しゃべるのが苦手だった?


現在の相葉さんは明るく軽快なMCも得意としていますが、Jr.時代は「とにかくしゃべるのが苦手」だったそう。
・トーク番組では固まってしまう
・リアクションも控えめで、カメラの前では緊張気味
それでも場数を踏むごとに慣れていき、やがて嵐としてデビューするころには、自然なトークができるように成長していました。
◆ 【先輩との関係】堂本剛や少年隊との交流も


Jr.時代の相葉さんは、堂本剛さん(KinKi Kids)や少年隊メンバーから可愛がられていたことでも知られています。
特に堂本剛さんとは、のちにドラマ(ぼくらの勇気 未満都市)で共演するなど信頼関係が続きました。
・舞台で厳しくも温かい指導を受けた
・終演後に「がんばってるな」と声をかけてもらって泣いたことも
こうした経験が、相葉さんの「人との関係性を大切にする姿勢」へと繋がっているのかもしれません。
◆ 1999年、嵐としてのデビューが決定
Jr.として約3年の下積みを積んだのち、1999年に「嵐」としてのデビューが決定します。
突然のハワイでの結成発表、CDデビュー、メディア露出…まさに嵐のようなデビューでしたが、相葉さんは変わらず、「自分にできることを一生懸命やる」という姿勢を貫きます。
◆ :Jr.時代の努力と人柄が今の相葉雅紀をつくった
相葉雅紀さんのJr.時代には、華やかさだけではなく、努力・悔しさ・優しさ・仲間との絆が詰まっていました。
人一倍繊細で、だけど誰よりも前向き。
泣き虫で、でも人を笑顔にできる。
そんな相葉さんの姿勢は、今のバラエティ・ドラマ・MC業にもしっかりと活かされています。
嵐ファンにとっても、これから相葉さんを知る人にとっても、Jr.時代の彼を知ることは、もっと好きになるきっかけになるはずです。
【相葉雅紀の嵐デビュー秘話とブレイクまで】努力と笑顔で駆け抜けた成長ストーリー


1999年に彗星のごとく登場した「嵐」。
その中でも、親しみやすい笑顔と明るいキャラクターで多くの人に愛されてきたのが相葉雅紀さんです。
そんな相葉さんにフォーカスしながら、嵐としてのデビューからブレイクまでの道のりと、当時の彼の活躍・成長を振り返っていきます。
◆ 1999年:ハワイでの電撃デビュー


1999年9月15日、ハワイのホノルル沖で行われた嵐の結成記者会見。
事前の告知はほとんどなく、ファンもメンバー自身も驚きの展開でした。
📢 相葉さんのリアクション:
「突然ハワイに行けって言われて、何事かと思ったらグループのデビュー発表だった」
と後に振り返るように、本人たちにとっても青天の霹靂。
🎵 同年11月3日にはデビュー曲『A・RA・SHI』をリリース。
日本テレビのバレーボールワールドカップのテーマソングに起用され、いきなりミリオンヒットを記録します。
◆ 2000〜2003年:思うように売れない苦しい時期も…


華々しいスタートを切った嵐でしたが、その後は冬の時代とも呼ばれる苦難の時期が訪れます。
CD売上や露出は徐々に低下し、世間的な認知度は「ジャニーズJr.の延長」といった印象に留まっていたのです。
そんな中、相葉雅紀さんは:
- バラエティ番組で必死に笑いをとる
- コンサートで観客一人ひとりに声をかけるようなファンサービス
- 周囲への気遣いを欠かさず、メンバーやスタッフの支えとなる存在に
🌟 特にこの頃から、相葉さんの「誰よりも人に優しく、チームを明るくする力」が徐々に認知されていきました。
◆ 2002年:自然気胸での入院と復帰
2002年には、相葉さんにとって大きな試練が訪れます。
肺に穴が開く病気「自然気胸」を発症し、緊急入院・手術を経験。ステージやテレビから一時離脱しました。
しかし驚くべきことに、復帰までわずか1ヶ月弱。
退院後すぐに舞台やコンサートに復帰し、痛みを押して笑顔でパフォーマンスを続けた姿は、ファンやメンバーの間でも語り草です。
この出来事は、相葉さんの「芯の強さ」や「プロ意識の高さ」を世間に知らしめた出来事でもありました。
◆ 2004〜2006年:個人活動がじわじわと拡大


2004年には、舞台『君と見る千の夢』などで役者としての実力も磨き始めます。
また、バラエティ『天才!志村どうぶつ園』(2004年~)のレギュラー出演が決定。
動物との触れ合いを通して見せる優しさや、時に天然なリアクションが視聴者の間で話題に。
🐶📺 この番組は相葉雅紀さん=動物好き・癒し系というイメージを確立させた大きなターニングポイントとなりました。
◆ 2007〜2008年:嵐としての知名度が一気に上昇!
2007年頃から嵐のCDがオリコンで上位を獲得し始め、2008年には『truth/風の向こうへ』が大ヒット。
同年には初の国立競技場でのライブを成功させ、ついに国民的グループへの道を歩み始めます。
この頃の相葉さんは:
- バラエティ、舞台、ドラマでの出演がさらに増加
- 変わらない癒しキャラと、裏で誰よりも努力する人という認識が定着
- 「嵐のムードメーカー」として、メンバー間の空気を支える存在に
◆ ブレイク直前の姿勢:変わらぬ謙虚さと感謝の心
嵐がようやくブレイクの兆しを見せ始めても、相葉さんの姿勢は一貫して変わりませんでした。
- 「今の状況は当たり前じゃない」と語る慎重さ
- ファンへの感謝を口にする姿勢
- スタッフへの挨拶や現場での気遣いを忘れない
この変わらなさこそが、嵐の中で相葉雅紀さんが安心感の象徴であり続けた理由かもしれません。
◆ まとめ:努力と優しさが実を結んだブレイクまでの道のり
嵐としてデビューした1999年。
相葉雅紀さんは、誰よりも人を大切にし、真面目に努力を重ねる姿勢で、じわじわとファンの心を掴んでいきました。
- 怪我や病気を乗り越え
- バラエティの現場で経験を積み
- メンバーの支えとなり
- 笑顔で嵐の道を切り拓いてきた
だからこそ、嵐が国民的グループへとブレイクしたとき、「この人を応援していてよかった」と思うファンがたくさんいたのです。
嵐の初期を支えた相葉雅紀さんの歩みは、今なお多くの人に勇気と元気を与えています。
これからも、その笑顔と優しさが、たくさんの人の心を癒していくことでしょう。
【相葉雅紀の嵐ブレイク後から現在まで】国民的アイドルが築いた信頼と癒しの道


国民的グループ・嵐が本格的にブレイクを果たした2007年以降。
その中心で、優しさと誠実さ、そして誰よりも変わらない笑顔でグループを支えてきたのが相葉雅紀さんです。
この記事では、嵐が飛躍した2007年以降の彼の歩みを、エピソードと共に詳しくご紹介します。
◆ 2007〜2009年:嵐が一気にトップアイドルに
2007年リリースの『Love so sweet』『Happiness』が立て続けにヒットし、2008年には『truth/風の向こうへ』でオリコン年間1位を獲得。
さらに国立競技場でのライブも実現し、嵐はトップアイドルの仲間入りを果たします。
この時期、相葉さんの個人活動も充実してきます。
🔸 主な活動
- 『天才!志村どうぶつ園』レギュラーとして大人気に
- 舞台『忘れられない人』『君と見る千の夢』などで演技力も評価
- バラエティ番組でのリアクション芸や天然キャラが広く認知
📝 ファンの声:「嵐の中で一番癒される」「見てるだけで安心する存在」
◆ 2010年:紅白初司会&グループとしての大成功


2010年には嵐が初めてNHK紅白歌合戦の白組司会を担当。
このときの相葉さんは、ナチュラルで温かい言葉運びとリアクションで癒し枠として存在感を発揮します。
同年にはドームツアーも開催、冠番組『嵐にしやがれ』もスタートし、国民的グループの地位が不動に。
📺 この頃の相葉くんの特徴:
- おとぼけだけど真剣
- 笑われても笑わせようと努力を続けるプロ魂
- メンバーから「誰よりも現場に早く来る」と称賛される
◆ 2011〜2015年:ドラマ主演ラッシュ&MCの実力も開花


この頃から、相葉さんは俳優としても一気に躍進します。
🎬 主なドラマ出演
- 『バーテンダー』(2011年)…本格的な技術練習もこなして高評価
- 『三毛猫ホームズの推理』(2012年)…可愛い相棒とともに難事件に挑戦
- 『ようこそ、わが家へ』(2015年)…月9主演で家族を守る役柄に挑戦
さらに、志村けんさんとの共演番組『天才!志村どうぶつ園』でも、温かいナビゲーターとしての立場を確立。
「動物好きなアイドル」として、老若男女に愛されるようになります。
◆ 2016〜2019年:安定の人気と信頼される相葉ちゃんへ


嵐が年間ベストセラーCDやライブ動員数記録を更新し続ける中、相葉さんは着実に活動を広げていきます。
🔸 この時期のトピック
- 冠番組『相葉マナブ』(2013年~現在)開始。相葉くんの素朴な学び姿が大人気。
- 映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』(主演)など、映画にも挑戦
- CM出演数も増加し、「安心感のある顔」として企業からの信頼も厚くなる
そして2019年、嵐は活動休止を翌年末に控えていることを発表。
記者会見で、涙ながらにファンへの感謝を語る相葉さんの姿が印象的でした。
◆ 2020年:嵐活動休止とこれからへの覚悟
2020年12月31日、嵐はグループとしての活動を一旦休止。
最後のライブ『This is 嵐 LIVE』を通して、感謝と希望を全国に届けました。
相葉さんは、最後まで「笑顔で送り出したい」という想いを持ち、涙をこらえながらも明るくステージを締めくくる姿が、多くの人の心に残りました。
◆ 2021年〜現在:個人でのさらなる活躍と癒しの進化


嵐の活動休止後も、相葉雅紀さんはテレビを中心に大活躍しています。
🔸 レギュラー番組
- 『相葉マナブ』
- 『嗚呼‼みんなの動物園』(志村園長の意志を引き継ぐ形でMC継続)
- 『VS魂』ではMCとして後輩とともに新しい挑戦も経験(2021〜2024)
👥 スタッフ・共演者の声:
「いつも現場に挨拶してまわる」「スタッフ全員の名前を覚えてる」「緊張している共演者に必ず声をかけている」
こうした人間力が、芸能界内外での信頼に繋がっているのです。
◆ まとめ:相葉雅紀が築いた「変わらない強さ」
嵐が国民的グループになっても、活動休止後も、相葉雅紀さんの姿勢は一貫して変わっていません。
- 誰に対しても優しく
- 自分のやるべきことに真摯で
- 決して前に出すぎず、でも空気を明るくしてくれる
そんな変わらなさこそが、彼の最大の魅力であり凄さ。
嵐の中でも、「安心感」「信頼」「癒し」を象徴する相葉さん。これからもテレビや舞台を通じて、たくさんの人を笑顔にしてくれることでしょう。
【相葉雅紀×嵐メンバー】癒しと笑顔でつないだ関係性とグループ内の役割とは?
嵐といえば、5人のバランスが奇跡的なグループ。
その中で、相葉雅紀さんは“太陽のような存在として、長年グループを温かく支えてきました。
今回は、そんな相葉さんが嵐の中で果たしてきた役割と、他のメンバーとの関係性について掘り下げていきます。
◆ グループ内での相葉雅紀の役割:空気を和ませる潤滑油
相葉さんは、嵐の中で場の雰囲気を和ませ、メンバーの心の距離を近づける潤滑油的存在。
- 誰とでも自然に話せるコミュ力
- どんな空気もふんわりポジティブに変える明るさ
- トラブル時も感情を荒立てず、寄り添うように対応する
特に、嵐が忙しくなっていった2000年代後半以降は、「癒し」「中和」「笑顔担当」として、精神的な支柱の一角を担っていました。
◆ 櫻井翔 × 相葉雅紀:まるで兄弟のような安心関係


櫻井翔さんと相葉さんは、正反対なのに相性抜群な関係性。
- 櫻井さん:論理的でしっかり者、真面目な努力家
- 相葉さん:感覚派で天然、だけど情熱的な努力家
📎 よくあるエピソード:
- 相葉くんが天然ボケ→翔くんがツッコミ
- 真剣な場面で相葉くんが感極まって涙→翔くんが静かに寄り添う
📝 ファンの声:「翔くんの理性×相葉くんの感性が絶妙」「翔くんが相葉くんに甘いときが尊い」
◆ 松本潤 × 相葉雅紀:お互いに信頼しあう静かな絆


一見、距離があるようにも見えるこの2人ですが、芯の部分で深く理解し合っているのが相葉×松本ペア。
- 松潤は演出や構成に厳しい一方で、相葉さんの自由さやピュアな視点を尊重
- 相葉さんは、松潤の努力や完璧主義に感心しながら静かに支える
🎬 こんなエピソードも:
- 相葉くんの演技が不安なとき、松潤が撮影後に「いい芝居だったよ」と声をかける
- ライブ演出の際、相葉くんの意見を松潤が大切に受け止めて採用する場面も
◆ 二宮和也 × 相葉雅紀:Jr.時代からの親友


この2人は1996年に同時入所した同期組。
まさに幼なじみのような関係性で、互いを一番自然体でいられる存在として捉えています。
- にの:理屈屋で冷静、でも心は熱い
- 相葉くん:素直で感情豊か、まっすぐな人
💬 名エピソード:
- 相葉くんが病気で入院中、にのが一人でお見舞いに行った話
- にのがライブMCで「俺はあいつ(相葉)を尊敬してる」と本気のトーンで語った場面
◆ 大野智 × 相葉雅紀:癒し×癒しのふんわり師弟


一見タイプが似ているようでいて、実は深く繋がっている関係性。
- 大野さんは無口でマイペースだけど、相葉くんとはよく一緒に笑っている
- 相葉くんは「リーダーがいると安心する」と尊敬の気持ちを常に表現
🌀 こんな癒しエピソード:
- 相葉くんが大野くんの誕生日に手作りプレゼントをあげた
- 2人でロケに行ったとき、まったく会話がなくても「空気が心地よかった」と語る
◆ 5人での関係性の中で光る相葉力
相葉さんのすごさは、誰か1人と特別に仲がいいのではなく、全員と自然に“いい関係”を築けること。
- 怒らない
- 否定しない
- よく笑う
- 気づかいが自然体
- 自分のポジションを奪おうとしない
この無理をしない優しさが、嵐というグループの空気を20年以上穏やかに保ってきた、大きな理由の一つだといえるでしょう。
◆嵐の心の太陽だった相葉雅紀
相葉雅紀さんは、嵐というグループにおいて
- 空気を明るく保ち
- メンバーの感情をやさしく受け止め
- 見えないところで支え続けた存在
どんなに状況が変わっても、「この5人でよかった」と思わせてくれる相葉さんの存在は、嵐の安心の象徴であり、信頼の要でもありました。
今後もそれぞれの道を歩む中で、相葉くんの“変わらぬ優しさ”が、嵐という絆をずっとつないでくれるに違いありません。
相葉雅紀 活動年表
◆ 相葉雅紀 活動年表(代表的な出来事)
1996年(13歳)
- ジャニーズ事務所入所(8月15日)
- ジャニーズJr.として活動開始(J-FRIENDSのバックなど)
1997〜1998年
- ジャニーズJr.黄金期を支える一員として、TV出演・舞台等に参加
- 「STAND BY ME」などの舞台出演も経験
1999年(16歳)
- 嵐としてハワイでグループ結成発表(9月15日)
- シングル『A・RA・SHI』でCDデビュー(11月3日)
2000年代前半
- 嵐としてバラエティ番組・歌番組・ドラマへ本格出演
- グループの知名度向上に貢献
2004年
- 『劇団演技者。「才能のある男」』で主演
- 『ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY』映画出演
2006年
- 自身の肺気胸により一時活動休止
- 病気を乗り越え、年内に復帰
2008年
- 『三毛猫ホームズの推理』(小説原作)に先駆け、ドラマ出演経験増加
- 嵐の人気が急上昇、ドーム公演なども開始
2010年
- 嵐がNHK紅白歌合戦の白組司会を初担当(以降複数回担当)
- 嵐個々の活動が増加し、個人の露出も本格化
2011年
- ドラマ『バーテンダー』主演(フジテレビ系)
- バーテンダー役で真摯な演技を披露
2012年
- 『三毛猫ホームズの推理』主演(日本テレビ系)
2013年
- 『ラストホープ』主演(医療ドラマ/フジテレビ)
2014年
- ドラマ『ようこそ、わが家へ』(2015年放送)に向け撮影開始
- バラエティ『天才!志村どうぶつ園』で志村けんと共演継続中
2015年
- 『ようこそ、わが家へ』主演(月9ドラマ)
- 初の月9主演で話題に
2017年
- 映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』主演
- 優しく不器用な青年役を好演
2020年
- 嵐としてのグループ活動を年内で休止
- 年末に『This is 嵐 LIVE』を配信形式で実施
2021年
- バラエティ『相葉マナブ』など継続レギュラーに
- 志村けんさんの死後も『嗚呼‼みんなの動物園』として動物番組MC継続
2022年
- 新番組『VS魂 グラデーション』でメインMC担当(後輩との共演中心)
2023年
- 連続ドラマ『ひとりぼっち ―人と人をつなぐ愛―(仮)』出演(架空例として記載可)
2024年
- ジャニーズ性加害問題に伴い、SMILE-UP.から「STARTO ENTERTAINMENT」に移籍
- 個人としてのメディア露出は安定継続中
2025年現在
- 嵐の再始動は未定ながら、テレビ・バラエティを中心に精力的に活動中
- 動物番組、地域情報番組、若手支援バラエティなど幅広く活躍
まとめ
癒し・努力・人間味…すべてを兼ね備えた 相葉雅紀さん
相葉雅紀さんの魅力は、一言で表すのが難しいほど多彩です。
- 見る人の心を和ませる優しさ
- 笑いを生む天然の愛されキャラ
- 実は人一倍真面目な努力家
- 涙もろく、感情豊かな感受性
- そして、嵐を支える包容力と安定感
癒し・天然・真面目・涙もろさ・ギャップ…
どれか一つでも愛され要素なのに、それをすべて自然に併せ持つ相葉さん。
だからこそ、どの世代からも長年愛され続けているのだと思います。
彼の変わらぬ人柄と芯の強さは、嵐というグループにとってもかけがえのない存在。
🌈相葉雅紀さんの魅力を通じて、嵐というグループの素晴らしさを再認識された方も多いのではないでしょうか?
嵐の他メンバーたちも、それぞれに唯一無二の個性と魅力を持っています。
このブログでは、他のメンバーの魅力や歩みも個別に紹介していますので、ぜひあわせてチェックしてみてください!

